予算に収まったが、目的は達成できなかった
あるシステム導入で、予算が上から降りてきた。その中でできることを絞って進めた。
結果として、やりたかった機能が実現しきれなかった。予算には収まった。でも中途半端なものができあがった。そのまま使い続けたが、数年後に作り直すことになった。
振り返ると、予算を守ることが目的になっていた。本来の目的は、必要な機能を実現することだったはずだ。
アンカリング効果
心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーは、「アンカリング効果」を指摘している。最初に提示された数字が基準(アンカー)になり、その後の判断がそこに引っ張られる現象だ。
見積もりの場面ではわかりやすい。ベンダーから想定より高い見積もりが来る。内容を精査して交渉するが、ほぼ下がらない。交渉は「相手の数字を起点にどれだけ下げるか」の枠内で行われる。最初の数字に引っ張られている。
しかし、もっと厄介なアンカリングがある。予算だ。
予算がアンカーになる
予算が先に決まっていると、すべてがその枠内で進む。ベンダーに予算を伝えれば、提案はその範囲に収まるように調整される。社内の検討も「予算に収まるか」が判断基準になる。
「本当に必要なことは何か」ではなく「予算内で何ができるか」で考えてしまう。必要な機能が削られる。でも、予算内に収まっているから、その時点では問題に見えない。問題が見えるのは、できあがったものを使い始めてからだ。
自分の経験では、数年後に作り直すことになった。最初から必要な機能を実現していた方が、トータルのコストは安かったかもしれない。予算を守ったつもりが、長期的にはかえって高くついた。
削った結果どうなるかを見せる
予算が上から降りてくる以上、予算をなくすことはできない。でも、予算に合わせて黙ってスコープを削るのではなく、「予算内に収めることで何を諦めるか」を明示することはできる。
必要なことを先に定義する。そのうえで、予算と照らし合わせる。予算に収まらないなら、何を諦めるかを判断する。そして、諦めたものを削ることで何が起きるかを見せる。
「この機能を削ると、こういう運用が必要になる」「この範囲を削ると、数年後に作り直す可能性がある」。削った結果の影響を見せたうえで、予算内に収めるかどうかを意思決定者に判断してもらう。
本当に必要なものであれば、予算を超えてでも承認を求めるという選択肢もある。予算内に収めることが前提になっていると、この選択肢が最初から消えてしまう。影響を明示することで、「予算を超えてでもやるべきか」という判断の余地が生まれる。
予算を守ることは大事だ。でも、予算を守った結果、目的を達成できないものができるのは本末転倒だ。予算は制約条件であって、目的ではない。
出す側の矛盾
一方で、自分が見積もりを出す側のときは、意識的に少し高めに出している。何かあったときのリスクを織り込んでおきたいからだ。
ここで矛盾に気づく。相手から高い見積もりを受けると「高すぎないか」と感じるのに、自分も同じことをやっている。自分の「少し高め」は、相手からすると「かなり高い」かもしれない。
高めに出すこと自体は間違いではない。リスクがある以上、バッファは必要だ。でも、そのバッファが不透明だと、相手は「高い」としか判断できない。リスク分を明示すれば、相手は何に払っているかを理解できる。不透明な高めより、透明な高めの方が信頼される。
受ける側でも出す側でも、大事なのは数字の根拠を見えるようにすることだ。
その判断は「何を達成したいか」から始まっているだろうか。
それとも「予算に収まるか」から始まっているだろうか。
1. 予算が先に決まると、すべてがその枠内で判断される
「本当に必要なこと」ではなく「予算内で何ができるか」で考えてしまう。予算に収まっても、目的を達成できなければ意味がない。予算を守ったつもりが、長期的にはかえって高くつくことがある。
2. 予算内に収めることで何を諦めるかを明示する
黙ってスコープを削るのではなく、削った結果どうなるかを見せる。本当に必要なものであれば、予算を超えてでも承認を求める選択肢もある。予算は制約条件であって、目的ではない。
もう少し深く知りたい人へ
アンカリング効果は、カーネマンとトベルスキーが1974年に発表した論文で体系的に示された。有名な実験では、ルーレットで出た数字(完全にランダム)を見せた後に「国連に加盟しているアフリカの国の割合は何%か」と聞くと、大きな数字を見た群は高い割合を、小さな数字を見た群は低い割合を答えた。アンカーに根拠がなくても判断が引っ張られることを示している。
アンカリングには2つのメカニズムが提案されている。一つは「不十分な調整」で、アンカーからスタートして調整するが、調整が不十分に終わるというもの。もう一つは「選択的アクセシビリティ」で、アンカーと整合する情報が記憶から引き出されやすくなるというものだ。予算がアンカーになったとき、「予算内でやれること」ばかりに目が行き、「予算を超えてでもやるべきこと」が見えにくくなるのは、後者のメカニズムで説明できるかもしれない。
交渉研究では、最初にオファーを出した側が有利になることが多いとされる(first-offer advantage)。予算を先に提示することは、自分から天井を設定する行為に等しい。一方で、ビジネスの現場では予算の開示を求められることも多く、完全に隠すのは現実的ではない。本文で述べた「目的を先に定義し、削った結果の影響を明示する」は、アンカーの影響を完全に排除するのではなく、アンカーの枠内でも合理的な判断ができる状態を作るアプローチだ。
参考文献
- Tversky, A., & Kahneman, D. (1974). Judgment under Uncertainty: Heuristics and Biases. Science, 185(4157), 1124-1131.
- Epley, N., & Gilovich, T. (2006). The Anchoring-and-Adjustment Heuristic. Psychological Science, 17(4), 311-318.