耳には入っているが、届いていない
大勢が参加する会議で、話を聞いているつもりだが、頭に入ってこないことがある。
特に英語の会議では顕著だ。音としては聞こえている。でも、脳みそまで届いていない。日本語の会議でも似たようなことは起きる。耳には入ってくるが、処理されていない。後から「あのとき言ったよね」と言われて、キーワードを聞いて「そういえば…」と思い出す。
あるとき、全く別の話だと思って聞き流していた内容が、実は自分の案件にも適用できるものだった。自分の案件の名前が出た瞬間に、急に意識が戻った。それまで同じ会議に座っていたのに、聞いていなかった。
カクテルパーティー効果
心理学に「カクテルパーティー効果」という概念がある。騒がしいパーティー会場でも、自分の名前が呼ばれると聞こえる。周囲の雑音は処理されていないが、自分に関係ある情報だけは選択的に拾い上げる。
逆に言えば、「自分に関係ない」と判断された情報は、耳に入っていても処理されない。会議で起きていることはまさにこれだ。話の内容が自分の仕事に関係ないと感じた瞬間に、脳は処理をやめる。
全体周知の限界
組織ではよく、全体会議で重要な方針を伝える。全員に同じ情報を共有するのが目的だ。
でも、全員に同時に伝えたからといって、全員に伝わっているわけではない。参加者の半数は「自分には関係ない」と判断して聞き流している可能性がある。伝える側は「言った」つもりだが、受け取る側は「聞いていない」。
これは受け取る側の問題だろうか。そうとも言い切れない。人の注意は有限だ。すべての情報を同じ集中度で聞くことは、そもそも無理がある。関係ないと感じた情報を聞き流すのは、脳の合理的な省エネだ。
問題は、伝える側が「全員に言ったから伝わった」と思い込むことにある。
目的がないと聞かない
議事録を作成するためだけに会議に出席させられることがある。
内容を理解する必要はない。ただ記録すればいい。でも、目的がそれだけだと、内容は本当に頭に入ってこない。聞いているようで聞いていない。後から議事録を読み返しても、自分がなぜこの場にいたのかわからないことがある。
結局、目的意識がないと人は聞かない。「この会議で何を得るべきか」がわからなければ、座っていても情報は素通りする。
当事者意識がある人は、言われなくても聞いている
一方で、驚いた経験もある。
自分が部下だった頃、上司が会議の細かいところまで覚えていることに驚いたことがある。「佐藤さんが、この前の会議で言ってたね」と、自分が聞き流していたような発言を正確に覚えている。
なぜそこまで聞けるのか。おそらく、当事者意識の違いだ。その上司は、会議の内容をただ聞いているのではなく、「これは自分の案件にどう適用できるか」「もっと良い提案ができないか」と常に考えていたのだと思う。目的を誰かに言われたわけではない。自分で目的を持っていた。
伝える側の設計と、背中で見せること
上司として、部下に知っておいてほしいことがある。だから会議に呼ぶ。これ自体は間違っていない。
ただ、呼ぶだけでは足りない。「なぜあなたがこの会議に出る必要があるのか」を伝えることが大事だ。
全部を聞く必要があるのか。大枠だけ理解してほしいのか。特定の部分を細かく聞いて、自分の案件に適用してほしいのか。目的を具体的に伝えるだけで、部下の聞き方が変わる。
ただ、目的を伝えるだけでは、当事者意識までは育たない。あの上司のように、自分で目的を見つけて聞ける人になってほしいなら、自分がそうしている姿を見せることも大事だと思う。会議の後に「あの話、うちの案件にも使えそうだ」と部下に共有する。どう考えてそう聞いていたかを伝える。背中で語ることが、当事者意識を育てる一歩になるのではないか。
「全員に伝えた」は、「全員に伝わった」と同じだろうか。
部下を会議に呼ぶとき、何を聞いてきてほしいか伝えているだろうか。
1. 「伝えた」と「伝わった」は違う
全体会議で言ったからといって、全員が聞いているわけではない。「自分に関係ない」と判断された情報は処理されない。伝える側が「言った」で終わらず、伝わる設計をする。
2. 目的を伝える。そして背中で見せる
部下を会議に呼ぶときは、何を聞いてきてほしいか具体的に伝える。加えて、自分が当事者意識を持って聞いている姿を見せる。「あの話、うちにも使えそうだ」と共有するだけで、部下の聞き方は変わっていく。
もう少し深く知りたい人へ
カクテルパーティー効果は、1953年にイギリスの認知心理学者コリン・チェリーが発表した研究で初めて体系的に示された。チェリーは「選択的注意」の実験を行い、人が複数の音声の中から特定の情報を選択的に処理できることを示した。
この現象の背景には、注意のフィルタリング機能がある。人間の脳は、入ってくるすべての情報を等しく処理しているわけではない。関連性が低いと判断された情報は早い段階でフィルタリングされ、意識に上らない。本文で触れた「耳には入っているが脳みそまで届いていない」は、このフィルタリングが働いている状態だ。
ただし、フィルタリングは完全ではない。自分の名前や、自分に関連するキーワードは、フィルタリングをすり抜けて意識に届く。本文で触れた「自分の案件名が出た瞬間に意識が戻った」は、この現象の典型例だ。ダニエル・シモンズとクリストファー・チャブリスの有名な「見えないゴリラ」実験も、注意の選択性を示している。特定のタスクに集中していると、明らかに目立つ刺激すら見逃す。
組織コミュニケーションの文脈では、全体周知の限界は広く認識されている。情報過負荷の状態では、個人は自分に関連する情報だけを選択的に処理する。エリザベス・ウォルフ・モリソンの研究では、従業員が情報を「聞き流す」のは、情報の重要性だけでなく、自分との関連性の認知によって決まることが示されている。
参考文献
- Cherry, E. C. (1953). Some Experiments on the Recognition of Speech, with One and with Two Ears. The Journal of the Acoustical Society of America, 25(5), 975-979.
- Simons, D. J., & Chabris, C. F. (1999). Gorillas in Our Midst: Sustained Inattentional Blindness for Dynamic Events. Perception, 28(9), 1059-1074.