「前のプロジェクトではこうだったんだよね」
上司に言われたことがある。類似のプロジェクトの進め方について、「前のプロジェクトではこういうアプローチだったんだよね」と。
言葉の表面だけ見れば、過去の事実を述べているだけだ。でも、本当に言いたいのは「今回も同じアプローチでやってほしい」ということだろう。明確には言わない。でも、従うことを求められている。
こういう場面は一度や二度ではなかった。日本の組織で働いていると、明示されないが察することを求められる場面が多い。
結局、確認した。「同じアプローチでやった方がいいですか?」と聞いた。違う方向に意図せず進んでも良くないからだ。でも、最初から明示してくれれば確認する手間もなかったし、受け取り方を間違えるリスクもなかった。
自分は、明確に書かれていてほしい側の人間だ。言葉にされていないことを察して動くのが苦手というよりも、どう受け取ればいいのかわからないときがある。
アメリカとの仕事で感じた違い
海外との仕事で、まったく違う世界を経験した。
アメリカの相手とは、言ったことをそのまま受け取ることが前提だった。契約一つとっても、トラブルが起きたときの対応について、一つひとつ丁寧に書こうとする。日本側は「なぜそこまで書かないといけないのか」と不満を持っていた。
でも、アメリカ側からすれば当然のことだ。書いていないことは合意していない。「何かあったら話し合いで」は、合意ではない。
日本側は「そこまで細かく書くのは信頼がないからだ」と感じる。アメリカ側は「書かないのは曖昧にしておきたいからだ」と感じる。どちらも悪気はない。前提が違うだけだ。
高コンテクストと低コンテクスト
文化人類学者のエドワード・ホールは、コミュニケーションのスタイルを「高コンテクスト」と「低コンテクスト」に分類した。
高コンテクストは、言葉にしなくても文脈や暗黙の了解で伝わることを前提とする。低コンテクストは、言葉で明示的に伝えることを前提とする。
ただし、これは0か1かではなく、グラデーションだ。日本は高コンテクスト寄り、アメリカは低コンテクスト寄りとされるが、どの国もどちらかの極端にあるわけではない。同じ日本人同士でも、場面によってコンテクストの高さは変わる。
そして、これを「日本人はこう、アメリカ人はこう」という国民性の話で終わらせると、本質を見誤ると思う。
本質は距離の問題
実際には、高コンテクストか低コンテクストかは、相手との距離で決まるのではないかと思っている。
距離が近い人とは前提を共有している。だから、言葉にしなくても通じる。同じチームで長く一緒に働いている同僚なら、「あれ、どうなった?」で通じる。高コンテクストで回る。
距離が遠い人とは前提を共有していない。だから、言葉にしないと伝わらない。社外の相手、初めて組む部署、新しく入ったメンバー。低コンテクストが必要になる。
これは日本でもアメリカでも同じだ。アメリカ人でも、気心の知れたチーム内では暗黙の了解で動くことがある。日本人でも、社外とのやり取りでは明示的にコミュニケーションする。
国の文化による傾向の差はある。でも、根本的には距離の問題だ。
距離が変わったのにスタイルが変わらない
問題が起きるのは、距離が変わったのにコミュニケーションのスタイルが変わらないときだ。
新しいメンバーが入った。でも、チーム内の暗黙の了解は言語化されていない。新しい人は「なぜそうなるのかわからない」と戸惑う。既存メンバーは「なぜわからないのか」と苛立つ。
上司の「前のプロジェクトではこういうアプローチだったんだよね」もこの構造だと思う。上司にとっては近い距離の相手に伝えているつもりだ。自分の中では前提を共有しているから、察してくれるはずだと思っている。でも、受け取る側はその前提を持っていない。
チームが変わらなければ、高コンテクストで回る。でも、人が入れ替わったり、部署をまたいだり、外部と組んだりすれば、距離は遠くなる。そのときに高コンテクストのままでやろうとすると、すれ違いが起きる。
距離に合わせてスタイルを変える
全部を低コンテクストにする必要はない。気心の知れたチーム内で、いちいち全部を言語化するのは非効率だし、息苦しい。高コンテクストで回る関係性には、スピードや心地よさがある。
大事なのは、距離が変わったときにスタイルを変えることだ。
新しい人が入ったら、暗黙の了解を言語化する。部署をまたぐプロジェクトでは、前提を明示する。社外との契約では、「話し合いで解決」ではなく、具体的に書く。
判断基準はシンプルだ。この相手と自分は、前提を共有しているか。共有しているなら高コンテクストでいい。共有していないなら、低コンテクストに切り替える。
そして、この切り替えは高コンテクスト側がやるしかないと思っている。低コンテクスト側が「察する力」を鍛えることもできるかもしれないが、言語化されていないものを正確に読み取るのは原理的に不確実だ。受け取り方を間違えるリスクが常にある。一方、高コンテクスト側が明示するのは、面倒ではあるが不可能ではない。伝える側が降りてくる方が、確実に伝わる。
あなたのチームに、新しく入った人が「なぜそうなるのかわからない」と戸惑っていないだろうか。
それは、距離が変わったのにスタイルが変わっていないからかもしれない。
1. 高コンテクストか低コンテクストかは距離で決まる
近い人とは前提を共有しているから察し合える。遠い人とは前提がないから明示が必要。国の文化より、相手との距離を基準に考える。
2. 歩み寄るのは高コンテクスト側
低コンテクスト側が察する力を鍛えるのは限界がある。言語化されていないものを正確に読み取るのは原理的に不確実だ。伝える側が明示する方が確実に伝わる。距離が遠くなったら、高コンテクスト側が低コンテクストに降りる。
もう少し深く知りたい人へ
高コンテクスト・低コンテクストの概念は、文化人類学者エドワード・ホールが1976年の著書『文化を超えて』で提唱した。ホールは、文化によってコミュニケーションで言語に依存する度合いが異なることを指摘し、日本、中国、アラブ諸国を高コンテクスト文化、アメリカ、ドイツ、スカンジナビア諸国を低コンテクスト文化に分類した。
ホールの枠組みは国や民族の文化を対象としているが、近年の研究では組織やチームレベルでも同様のダイナミクスが起きることが指摘されている。長く一緒に働いたチームは共有される文脈が増え、高コンテクスト化していく。本文で述べた「距離の問題」はこの知見と整合する。
本文で触れた契約に関する文化差は、ビジネスの現場で頻繁に議論されるテーマだ。アメリカの契約文化は、コモンロー(判例法)の伝統に根ざしている。判例に基づいて解釈されるため、契約書に書かれていないことは保護されない。一方、日本の契約文化は、継続的な関係性を前提としており、契約書よりも信頼関係を重視する傾向がある。どちらが優れているということではなく、前提となるシステムが異なる。
エリン・メイヤーは著書『異文化理解力』で、ホールの概念をビジネスの文脈に発展させた。メイヤーはコミュニケーションだけでなく、評価、リーダーシップ、意思決定、信頼、対立、スケジューリングなど8つの指標で文化差を分析している。本文で触れた「明確に言わないけど従うことを求められる」は、メイヤーの枠組みでは「コミュニケーション」と「リーダーシップ」の両方に関わる現象だ。
参考文献
- Edward T. Hall 『文化を超えて』
- エリン・メイヤー 『異文化理解力』