システムを入れても現場は変わらない
DXのシステム導入を推進していたときのことだ。
新しいシステムを入れれば、業務が効率化される。そう考えていた。でも、現場のプロセスを見ると、そのままシステム化すると複雑になりすぎることがわかった。
現場には、明文化されていない細やかなルールがたくさんあった。ケースごとの例外処理、特定の取引先への特別対応、経験則で決まっている判断基準。それぞれに理由があり、コスト削減のために積み重ねられてきたものだった。現場が無秩序にやっていたわけではない。むしろ、現場なりに最適化された結果だった。
ただ、それを全部システムに反映させると、システムは膨大に複雑になる。導入コストも運用コストも跳ね上がる。トータルで見れば、現場のプロセスを単純化する方が合理的だった。
それをやろうとして、簡単ではなかった。
文化は戦略を食う
経営学者のピーター・ドラッカーの言葉とされる「文化は戦略を食う(Culture eats strategy for breakfast)」という言い回しがある。どんなに優れた戦略を立てても、組織の文化がそれに合わなければ、戦略は実行されない。
文化というと大げさに聞こえるが、要は「ここではこうやる」という暗黙の了解の集合体だ。明文化されていないが、全員がそれに従って動いている。新しく入った人が戸惑う「なぜこうなっているのか」の多くは、この暗黙のルールだ。
戦略は論理で変えられる。でも、文化は論理だけでは変わらない。長年積み重ねられた「こうやるもの」という共通認識は、新しい方針が出ても簡単には書き換わらない。
暗黙のルールには理由がある
現場のプロセスを見ていて気づいたのは、一つひとつの暗黙ルールには理由があったということだ。
「なぜこんな面倒なことをしているのか」と思う手順も、掘り下げると過去のトラブル対応の名残だったり、特定の顧客の要望への対応だったりする。誰かが工夫した結果が、いつの間にか標準になっていた。明文化されていないのは、当事者にとっては当たり前すぎて書き残す必要がなかったからだ。
だから、暗黙のルールを「無駄」「非効率」と切り捨てるのは危険だ。見えていないコンテクストがある。変えようとするなら、まずそのルールがなぜ存在するかを理解する必要がある。
一方で、個別に最適化された暗黙ルールが積み重なると、全体としては複雑になる。一つひとつは合理的でも、全体で見ると非効率になる。この個別最適と全体最適のずれを整理するのが、戦略側の仕事だ。
ただ、自分は導入を推進する側で、現場のオペレーションを細かくは知らない立場だった。ある機能を諦めてもらったときに、どれくらい現場が困るのかがわからない。強く押しすぎれば、現場にとって重要だった機能まで失わせるかもしれない。遠慮しすぎれば、簡素化が進まない。どこまでプッシュしていいのかの加減が、正直わからなかった。
トップダウンでも簡単ではない
結局、現場だけでは変えられなかった。個別最適に慣れた現場が、自発的に「全体のために簡素化する」判断をするのは難しい。トップダウンで方針を出してもらい、プロセスの見直しを進めることになった。
ただ、トップダウンなら簡単に変わるかというと、そうでもない。
推進責任者、推進リーダー、各セクションのリーダー、担当者。組織には複数の階層がある。トップで決めた方針を、担当者まで降ろしていく過程で、意図が薄まっていく。「なぜこの変更が必要か」の目的が、階層を経るごとに伝わりにくくなる。
現場まで降りたとき、残っているのは「方針が変わった」という事実だけで、なぜ変わったかの理解が抜けている。そうなると、表面上は従っても、実態は変わらない。古いやり方が新しい方針の形式に覆いかぶされているだけの状態になる。
各階層で、上から受け取った方針を、自分の言葉で下に伝える必要がある。「なぜ変えるのか」「何を目的にしているのか」を、階層ごとに翻訳しながら下ろしていく。しかも一度伝えれば済むわけではない。何度も繰り返し発信しないと、現場まで浸透しない。
そして、情報は下ろすだけでなく、現場からのフィードバックを吸い上げることも大事だ。新しいプロセスが実際に動いてみると、想定していなかった問題が出てくる。オペレーションの現場でしか気づけないことがある。上から下への一方通行では、変更はうまく定着しない。
文化を変えるのは時間がかかる。長年積み重ねられた「こうやるもの」が、方針を出した瞬間に切り替わることはない。数ヶ月、場合によっては数年単位で、少しずつ動作が変わっていく。短期で「変わっていない」と判断して諦めるのではなく、時間をかけて定着させる覚悟が必要になる。
そして、戦略は方向性を示すだけでは足りない。方向性を現場の動作に落とし込むところまでが、戦略の実行だ。文化を変えるというのは、つまり日々の動作を変えるということでもある。
あなたが出している方針は、現場の動作にまで落ちているだろうか。
そして、各階層で「なぜそうするか」が翻訳されて伝わっているだろうか。
1. 現場の暗黙ルールには理由がある。理解してから変える
「無駄」「非効率」に見えるルールも、過去の対応や工夫の積み重ねであることが多い。見えていないコンテクストを理解してから変えないと、必要な機能まで失う。一方で、個別最適の積み重ねが全体の複雑さになっていることもある。そこを整理するのが戦略側の仕事。
2. 階層ごとに翻訳し、繰り返し、双方向で伝える
トップダウンでも、階層を経るごとに意図が薄まる。各階層で上司が自分の言葉で下に伝え直す。一度では伝わらないから繰り返し発信する。現場からのフィードバックも吸い上げる。文化を変えるには時間がかかる。短期で判定せず、定着させる覚悟を持つ。
もう少し深く知りたい人へ
「文化は戦略を食う」という表現は、ピーター・ドラッカーの言葉として広く知られているが、実はドラッカー自身の著作に直接の記述はない。マーク・フィールズ(元フォードCEO)が2006年頃に引用して広まったとされる。ただ、ドラッカーが組織文化の重要性を繰り返し論じていたことは事実で、この表現は彼の思想を端的に表したものとして定着している。
組織文化の研究では、エドガー・シャインが「文化の3つのレベル」を提唱している。表層の「人工物(Artifacts)」、中層の「価値観(Espoused Values)」、深層の「基本的仮定(Basic Underlying Assumptions)」だ。本文で触れた「明文化されていないが全員が従うルール」は、深層の基本的仮定に近い。戦略やビジョンは中層の価値観を変えようとするが、深層まで変えなければ行動は変わらない。
本文で触れた「現場の個別最適」は、システムダイナミクスでは「局所最適の罠」として議論される。各部分が自分の領域を最適化すると、全体としては非効率になる現象だ。DX推進で現場プロセスをそのままシステム化する失敗は、この罠の典型例と言える。
階層を経て意図が薄まる問題は、組織論では「意図の翻訳問題」として知られている。ジョン・コッターは『企業変革力』の中で、変革の初期に「変革のビジョン」を各階層で繰り返し伝達することの重要性を強調している。一度伝えるだけでは不十分で、階層ごとの翻訳と、繰り返しの発信が必要になる。
参考文献
- エドガー・シャイン 『組織文化とリーダーシップ』
- ジョン・コッター 『企業変革力』