「あの人に聞けばわかる」

どの組織にも、こういう人がいる。

組織図上は特別な立場ではない。でも、困ったときに「あの人に聞いて」と言われる人。技術的な質問も、社内の事情も、過去の経緯も、その人に聞けばだいたいわかる。

頼りになる存在だ。その人がいるおかげで、仕事がスムーズに回る。判断に迷ったときも、「ちょっと聞いてくる」で解決する。

でも、頼りすぎることには裏がある。

非公式ネットワーク

組織には、組織図に載っていないネットワークがある。誰が誰に相談するか、誰が誰を信頼しているか、誰と誰が情報を共有しているか。これを「非公式ネットワーク (Informal Network) 」と呼ぶ。

組織図上の「上司」と、実際に頼りにされている人は違うことがある。フォーマルな指揮系統とは別に、インフォーマルなネットワークが仕事を動かしている。

「あの人に聞けばわかる」という人は、この非公式ネットワークのハブだ。情報が集まり、相談が集まり、判断が集まる。組織図には現れないが、実質的に組織を回している存在である。

ベテランの退職

以前の職場に、まさにそういう人がいた。

ベテランで、さまざまなプロジェクトにアドバイスをしてくれる人だった。技術的なことも、社内の事情も、過去の経緯も詳しい。困ったことがあると、みんなその人に聞きに行く。「あの人に聞いて」が口癖のようになっていた。

正直、助かっていた。「この案件、過去に似たケースありましたっけ?」「この技術、どういう仕組みでしたっけ?」。そう聞けば、背景から説明してくれる。自分で調べるより早いし、正確だ。プロジェクトのスピードが出るのは、その人のおかげだった部分も大きい。

ただ、問題もあった。他の人が育たないのだ。

その人の経験と知識には、誰も勝てない。だから、自分で考えるより聞いた方が早い。聞いた方が正確。結果として、「自分で判断する」経験を積む機会が減る。若手だけでなく、中堅も同じだった。

この課題意識は、当時から組織の中にあった。「あの人に頼りすぎている」「知識を分散させないといけない」。みんな、なんとなくわかっていた。でも、今の仕事を回すのに精一杯だった。目の前のプロジェクトを進めるには、その人に聞くのが一番早い。課題を認識しながら、構造を変えられないまま時間が過ぎた。

そして、その人は退職した。

意外となんとかなった、が

退職後、組織は崩壊したか? そうはならなかった。意外となんとかなっている。

誰かに聞けば一発で解決していたことを、自分たちで調べるようになった。過去の資料を掘り起こし、関係者に確認を取り、判断を積み重ねる。できなかったわけではない。やっていなかっただけだ。

ただ、スピード感は明らかに落ちた。

以前なら30分で終わっていた判断に、丸一日かかることもある。技術的なアドバイスがほしいとき、その人に聞けば一発だった。今は、他の有識者を探して、事情を説明して、聞いて、また別の人にも確認を取って。「あの人に聞けば一発だったのに」と思う場面は、正直、何度もあった。

これが、非公式ネットワークのハブを失うということなのだと思う。組織は止まらない。でも、遅くなる。

頼りすぎることのリスク

振り返ると、避けられない問題があった。

頼れるから頼る、頼るから育たない

その人に聞けば早い。だから聞く。聞くから、自分で考えない。考えないから、経験が積まれない。経験がないから、その人に勝てない。勝てないから、また聞く。

この循環が続く限り、知識と判断力はその人に集中し続ける。頼りすぎることで、組織の厚みが薄くなっていく。

わかっていても止められない

厄介なのは、この問題に気づいていても対処しにくいことだ。「頼りすぎている」とわかっている。でも、今日の仕事を回すには、聞いた方が早い。長期的なリスクより、短期的な効率を取ってしまう。

問題が表面化するのは、その人がいなくなってからだ。いる間は、むしろ組織はうまく回っているように見える。だから、後回しになる。

月曜から試せるヒント

「あの人に聞いて」の人が誰か、意識しておく

あなたの組織で、非公式ネットワークのハブになっている人は誰だろうか。組織図上の役職とは関係なく、「困ったらあの人」と言われている人。その人が誰かを意識しておくだけで、リスクの所在が見える。

もし心当たりがあるなら、その人の知見が他の誰かにも共有されているか、確認してみてほしい。共有されていないなら、それが組織のリスクだ。

あなたの組織に、「あの人に聞けばわかる」という人はいるだろうか。

その人の知見は、他の誰かにも共有されているだろうか。

もう少し深く知りたい人へ

組織における非公式ネットワークの重要性は、1993年にハーバード・ビジネス・レビューに掲載されたKrackhardtとHansonの論文で体系的に論じられた。彼らは、組織には3つの非公式ネットワークがあると指摘している。

  • アドバイス・ネットワーク: 仕事を進めるとき、誰に相談するか
  • 信頼ネットワーク: デリケートな情報を、誰と共有するか
  • コミュニケーション・ネットワーク: 仕事の話を、日常的に誰とするか

本文で触れた「あの人に聞けばわかる」という存在は、主にAdvice Networkのハブに該当する。こうしたハブの存在は、組織の効率を高める一方で、リスクも伴う。論文では、非公式ネットワークを考慮せずに人事異動を行うと、組織の機能が損なわれる可能性があると警告している。

また、特定の個人に知識や判断が集中する現象は、組織論では「属人化」の問題としても議論される。属人化は短期的には効率的だが、長期的には組織の回復力を低下させる。本文で触れた「頼れるから頼る、頼るから育たない」という循環は、この属人化が進行するメカニズムの一つである。

参考文献

  • Krackhardt, D., & Hanson, J. R. (1993). Informal Networks: The Company Behind the Chart. Harvard Business Review, 71(4), 104-111.
  • Cross, R., & Parker, A. (2004). The Hidden Power of Social Networks: Understanding How Work Really Gets Done in Organizations. Harvard Business School Press.

関連記事