やめる条件を決めたことがない
新しい取り組みを始めるとき、「いつやめるか」を決めたことがほとんどない。
うまくいかなくても、まずは頑張ろうとする。やり方を変えてみる。担当者を変えてみる。やめるという選択肢が出てくること自体が少ない。
どこかに「やめる=失敗」という先入観があるのだと思う。続けることが正しくて、やめることは逃げだ、と。
撤退の条件という考え方
経営学には「始める前にやめる条件を決めておく」という考え方がある。リタ・マグレイスの仮説指向計画法では、新しい取り組みは「仮説」として始め、仮説が間違っていたとわかった時点で撤退する。
理屈はわかる。でも実務では、やめる条件を事前に決めるのは難しい。
やり方が悪いのか、効果がないのか、わからない
うまくいかないとき、原因の切り分けが難しい。やり方が悪いのか。そもそも効果がないのか。担当者のスキルが足りないのか。判断がつかない。
だから、まずは方針転換してみる。やり方を変えて、もう一度試す。これは合理的な判断だ。原因がわからないのにやめるのは早計だし、変数を変えて再挑戦するのは正しい。
でも、方針転換を何回繰り返すかは決めていない。「次こそはうまくいくかもしれない」と思って続ける。気づいたら、惰性で続けている。
惰性のサイン
振り返ると、撤退すべきタイミングにはサインがあった。
一つは、顧客側が惰性になっていること。初期は前向きだった反応が薄くなる。返事が遅くなる。会議での発言が減る。形式的にはプロジェクトが動いているが、双方が義務感で続けているだけの状態だ。
もう一つは、社内で誰も主導権を持とうとしなくなること。担当者が受け身になる。「やれと言われたからやっている」という空気が出てくる。
どちらも数字には現れにくい。人の態度に現れる。そして、一度みんなのやる気が失われると、再び火をつけるのは非常に難しい。よほどのトップダウンでもない限り、復活は期待できない。
粘って良かったことはあまりない
正直なところ、粘って良かった経験はあまりない。「もっと早くやめればよかった」の方が多い。
ただ、最終的にやめる判断ができたことは良かったと思っている。小さく試して見極める(PoC)ような位置づけだと思えば、やめたことは失敗ではない。「この方向では効果がない」とわかったこと自体が成果だ。問題は、その判断に至るまでの時間が長すぎることだ。
惰性を見抜くためのレビュー
ではどうするか。定期的にレビューする場を設けることだと思う。
月に一度でも、四半期に一度でもいい。「この取り組みは今、信じてやっているか。それとも惰性で続けているか」を関係者と確認する。惰性かどうかは、意外と自分たちでわかっている。でも、問われなければ立ち止まらない。
レビューの場があっても、「実はもう厳しいと思っている」という声は簡単には出てこない。始めた人や上位の意思決定者に遠慮するからだ。だからこそ、誰がやめる決断をするかを事前に決めておくことが大事になる。レビューの場には、やめる判断ができる立場の人間が参加し、「やめてもいい」という選択肢を明示する必要がある。
もう一つ、新しい取り組みを始めるときに「これは実験だ」と最初から宣言しておくのも効果がある。実験なら、うまくいかなかったときにやめるのは失敗ではなく、予定通りの判断になる。撤退のハードルが下がる。
そして、やめる判断をした人やチームをきちんと評価することだ。「やめた」ではなく「見極めた」と扱う。やめることが評価されなければ、誰もやめる判断をしたがらない。続けることだけが評価される組織では、撤退は常に遅れる。
その取り組みは、信じて続けているだろうか。
それとも、やめるきっかけがないから続いているだけだろうか。
1. 撤退が遅れるサインは数字ではなく人の態度に現れる
顧客が惰性になる。社内で誰も主導権を持たなくなる。一度やる気が失われると復活は難しい。サインが見えたら、撤退を検討するタイミングだ。
2. 定期的に「信じてやっているか、惰性か」を問うレビューの場を設ける
やめる判断ができる立場の人間が参加し、「やめてもいい」を明示する。新しい取り組みは「実験」と宣言しておく。やめる判断を「見極めた」と評価する。
もう少し深く知りたい人へ
「始める前にやめる条件を決めておく」という考え方は、リタ・マグレイスとイアン・マクミランが提唱した「仮説指向計画法(Discovery-Driven Planning)」に基づく。彼らは、不確実性の高い新規事業では従来の事業計画が機能しないと指摘した。代わりに、事業の前提を「仮説」として明示し、マイルストーンごとに仮説を検証して、間違っていれば撤退するというアプローチを提案した。
この考え方は「プリコミットメント」とも関連する。行動経済学では、将来の自分が合理的に判断できない可能性を見越して、事前にルールを決めておくことをプリコミットメントと呼ぶ。投資の世界では「ストップロス」がその典型だ。株価が一定以上下がったら自動的に売る。感情に左右されない仕組みを事前に作っておく。
本文で触れた「やり方が悪いのか、効果がないのかわからない」問題は、エリック・リースのリーンスタートアップで言う「ピボット」と「撤退」の区別に相当する。ピボットは方向転換であり、撤退ではない。しかし、ピボットを繰り返した結果として撤退に至ることは多い。リースは、ピボットの判断にも明確な基準が必要だと述べているが、実務ではその基準を設定すること自体が難しい。本文で述べた「定期的なレビュー」は、この難しさに対する現実的な対処法と言える。
なお、「粘って良かった経験はあまりない」という実感は、研究とも一致する。コロンビア大学のバリー・スタウの研究では、撤退が遅れる最大の原因は「自分が始めた(あるいは支持した)プロジェクトへのコミットメントのエスカレーション」だとされている。サンクコストの心理に加えて、「自分の判断が間違っていたと認めたくない」という動機が撤退を遅らせる。定期的なレビューの場は、この心理的バイアスに対しても有効だ。個人の判断ではなくチームの判断として撤退を位置づけることで、「自分の失敗」から切り離すことができる。
参考文献
- McGrath, R.G., & MacMillan, I.C. (1995). Discovery-Driven Planning. Harvard Business Review, 73(4), 44-54.
- エリック・リース 『リーン・スタートアップ』
- Staw, B.M. (1976). Knee-Deep in the Big Muddy: A Study of Escalating Commitment to a Chosen Course of Action. Organizational Behavior and Human Performance, 16(1), 27-44.