盛り上がったが、続かなかった
社内Wikiで情報共有を始めたことがある。最初は盛り上がった。でも、徐々に使われなくなった。
特定の人だけが書いていた。情報がメンテナンスされず、古くなった。あくまで非公式の情報だから、参照する理由もなかった。そのうち公式のドキュメントが充実してきて、非公式の存在意義がなくなった。
きっかけがあって終わったわけではない。気づいたら誰も使っていなかった。
ネットワーク効果
経済学に「ネットワーク効果」という概念がある。使う人が増えるほど、そのサービスや仕組みの価値が上がる現象だ。電話が典型的な例で、自分だけが持っていても意味がない。使う人が増えるほど、一人あたりの価値も上がる。
情報共有の仕組みも同じ構造だ。書く人が多ければ読む価値がある。読む人が多ければ書く意味がある。
逆も起きる。書く人が減ると読む価値がなくなる。読む人がいなくなれば書く意味がない。使う人が少ない→価値が出ない→さらに使わなくなる。逆回転の悪循環だ。
社内Wikiが自然消滅したのは、この逆回転だったのだと思う。
身内から始めたノウハウ共有
一方で、うまくいった経験もある。開発者向けのノウハウ共有だ。
社内Wikiの失敗は意識していた。こういう仕組みを続けることの難しさはわかっていた。だから、最初から全社に広げようとはしなかった。身内の小さいチームで始めた。ターゲットは明確で、開発者に絞った。書く側の前提も決めた。責任は取らない。ベストエフォートで更新する。正確さや網羅性は求めない。
この前提が大事だった。「正確でなければいけない」「最新に保たなければいけない」と思うと、誰も書かなくなる。書くハードルを下げたことで、書く人が維持された。書く人がいるから読む価値がある。読む人がいるから書く意味がある。ネットワーク効果が正の方向に回った。
なぜ片方は失敗し、片方は続いたのか
2つの違いを振り返ると、いくつかの差がある。
ターゲット。 社内Wikiはターゲットが曖昧だった。開発者向けか、システム導入部署向けか、レベル感もバラバラだった。誰にとっても中途半端になった。ノウハウ共有は開発者に絞った。読む人が明確だから、書く内容も定まった。
書くハードルの高さ。 社内Wikiは暗黙の品質期待があった。書くならちゃんとしたものを、という空気があった。ノウハウ共有は「ベストエフォート、責任は取らない」と最初に宣言した。不完全でいい。書くハードルが下がった。
初期のサイズ。 社内Wikiは最初から広く公開した。ノウハウ共有は身内から始めた。小さい範囲で価値を確認してから、少しずつ広げた。
存在意義。 社内Wikiは非公式で、公式ドキュメントが充実すると役割がなくなった。ノウハウ共有は公式にはない現場のノウハウを扱っている。公式と競合しない。
大きくしすぎない
ノウハウ共有はその後、少し規模を大きくして運用している。書いてくれる人も増えた。
ただ、大きくしすぎるのも良くないと思っている。規模が大きくなると、書く側のプレッシャーが上がる。読む人が増えると「ちゃんとしたものを書かなければ」と感じる。最初に下げたはずのハードルが、また上がってしまう。
実際に、時間をかけて前提から丁寧に書いたことがある。わかりやすくしようとして、背景や注意事項を詳しく書いた。でも、できあがったものを見ると、公式ドキュメントと変わらないものになっていた。読みにくいし、現場のノウハウという良さが消えていた。ベストエフォートで書くから価値があったのに、丁寧に書くことでその価値を壊してしまった。
ネットワーク効果は一般的に「大きいほど価値が上がる」とされる。SNSやプラットフォームはそうだ。でも、社内のナレッジ共有には最適なサイズがあると思う。書く人がプレッシャーを感じず、読む人にとって自分ごとの情報がある。その範囲を超えると、ネットワーク効果が逆に働き始める。
大きくすることが目的ではない。価値が回り続けることが目的だ。
その仕組みは、書く人と読む人の両方にとって価値があるだろうか。
そして、大きくしすぎてハードルが上がっていないだろうか。
1. 社内の情報共有はネットワーク効果で回る。逆回転すると自然消滅する
書く人が減ると読む価値がなくなり、さらに書かなくなる。定着させるには、ターゲットを絞る、書くハードルを下げる、小さく始めて価値を確認してから広げる。
2. 大きくしすぎない。社内の仕組みには最適なサイズがある
規模が大きくなると書く側のプレッシャーが上がる。「ベストエフォート、責任は取らない」の前提を維持できる範囲で運用する。大きくすることが目的ではなく、価値が回り続けることが目的。
もう少し深く知りたい人へ
ネットワーク効果の概念は、1970年代に経済学者のジェフリー・ロルフスが電話網の分析で初めて体系化した。その後、ロバート・メトカーフが「ネットワークの価値はユーザー数の二乗に比例する」と提唱し(メトカーフの法則)、テクノロジー業界で広く知られるようになった。
ネットワーク効果には「直接的ネットワーク効果」と「間接的ネットワーク効果」がある。直接的は、電話のように同じサービスのユーザーが増えるほど価値が上がるもの。間接的は、プラットフォームのように供給側と需要側の両方が増えることで価値が上がるもの。本文で触れた情報共有の仕組みは、書く人(供給側)と読む人(需要側)の間接的ネットワーク効果に近い。
初期の壁を越える戦略として知られているのが「まず小さいコミュニティで密度を上げる」というアプローチだ。Facebookはハーバード大学の学生だけから始めた。小さい範囲で密度の高いネットワーク効果を作り、それから段階的に広げた。本文の「身内から始めた」はこれと同じ構造だ。
本文で触れた「大きくしすぎると逆効果」は、ネットワーク効果の研究では「混雑効果(congestion effect)」や「ネガティブ・ネットワーク効果」として議論されている。ユーザーが増えすぎると、情報の質が下がる、ノイズが増える、自分に関係ない情報が増えるなどの問題が起きる。SNSでフォロワーが増えすぎると発言しにくくなる現象も、同じ構造だ。
参考文献
- Shapiro, C., & Varian, H.R. 『情報経済の鉄則——ネットワーク型経済を生き抜くための戦略ガイド』
- Parker, G.G., Van Alstyne, M.W., & Choudary, S.P. 『プラットフォーム・レボリューション』