また甘かった

プロジェクトの見積もりが甘くて、予算をオーバーしたことがある。

振り返れば原因はわかる。次はもっと精度を上げよう、と思う。でも次の案件で、また似たようなことが起きる。経験を積んでいるはずなのに、見積もりの精度が上がらない。

計画の錯誤

心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーは、「計画の錯誤」という現象を指摘している。人は計画を立てるとき、最良のシナリオに引っ張られる傾向がある。過去に遅れた経験があっても、「今回は大丈夫」と思ってしまう。

「前回は遅れたが、今回は反省を踏まえた」。そう思うこと自体が、すでに楽観的なシナリオに引っ張られている。

「なんとかなった」が次を甘くする

なぜ経験を積んでも改善しないのか。思い当たることがある。

見積もりが甘くても、途中で対処してなんとか収めることが多い。残業したり、調整したり、優先順位を変えたり。結果として「なんとかなった」で終わる。

すると、記憶には「うまくいった」として残る。途中で火消しをしていたことは忘れる。次の見積もりは、その「うまくいった記憶」を基準に出す。だからまた甘くなる。

問題になる前に対処できるのは、いいことだ。でもそれが「見積もりは合っていた」という錯覚を生んでいる。見積もりの精度ではなく、現場の対処力で乗り切っているだけなのに。

では、具体的にどこで見積もりが甘くなっているのか。振り返ると、3つの癖があった。

3つの「だろう」

「自分ならこれくらいで終わるだろう」

見積もりのとき、無意識に自分の感覚を基準にしていた。この作業は自分なら半日で終わる。でも実際にやるのは若手や、初めてその作業をやる人だ。初めての作業には時間がかかる。設計まで任せるとさらにかかる。

自分の能力を基準にチーム全体の見積もりを出していた。部下からすれば、余裕がなさすぎると感じていたと思う。こちらは「十分な時間」のつもりで渡している。でも相手にとって十分かまでは確認していなかった。

「メンバーも成長しているだろう」

もう一つ、楽観視していたことがある。メンバーのスキルアップだ。前回より成長しているだろう。だから前回より早く終わるだろう。

実際に成長していることもある。でも、それがどの程度かは正確にはわからない。「成長しているだろう」は期待であって、根拠ではない。「前回の資産が流用できるから早く終わるだろう」というのも同じ構造だ。期待をもとに見積もると、結局バッファが足りなくなる。

「順調にいくだろう」

割り込みや調整の時間を計算に入れていない。手戻りも想定していない。「順調にいけば」の見積もりを出している。

最悪のケースはどこまで見積もればいいかわからない。だから結局、なんとなくの感覚で決めてしまう。結果として、見積もりは常に「すべてがうまくいった場合」の数字になっていた。

3つとも「だろう」だ。根拠ではなく期待で見積もっていた。予算オーバーの原因は、特に2つ目と3つ目だったと思う。成長への期待と、順調にいく前提が重なって、バッファが足りなくなった。

見積もりのギャップを会話にする

計画の錯誤への対策として、三点見積もり (PERT) という手法がある。楽観値、最頻値、悲観値の3つを出して加重平均をとる方法だ。理屈はわかる。でも、そもそも悲観シナリオを正確に想像できないから見積もりが甘くなっている。使いこなすのは難しい。

スクラムでは、作業する本人が見積もる。自分基準の問題は解消される。ただ、担当者に任せきりにすると、安全サイドに倒しすぎる可能性もある。

では、どうするか。最近意識しているのは、自分と担当者の両方が見積もって、そのギャップを確認することだ。

自分の見積もりが3日、担当者の見積もりが7日。その差の4日分に、お互いが見えていない前提が隠れている。なぜ差があるのかを話す。「ここは初めてだから時間がかかりそう」「ここは前回の経験があるからもっと早くできる」「割り込みを考えるともう少しかかる」。こういう会話が出てくる。

結果として、楽観的すぎる部分と安全サイドに倒しすぎている部分の両方が見える。最悪ケースを想像する必要はない。ギャップの会話が、自然にリスクの洗い出しになる。

もう一つ、意識するようになったのは、見積もりを出した後に「これはすべてがうまくいった場合の数字になっていないか」と自問することだ。答えがYesなら、それは計画ではなく願望だ。

あなたの見積もりは「順調にいけば」の数字になっていないだろうか。

そしてその数字は、実際にやる人の見積もりとどれくらいズレているだろうか。

月曜から試せるヒント

1. 見積もりが甘くなるのは3つの「だろう」のせい

自分ならできるだろう。メンバーも成長しているだろう。順調にいくだろう。根拠ではなく期待で見積もっていないか確認する。さらに、途中で火消しして「なんとかなった」記憶が、次の見積もりをまた甘くする。

2. 自分と担当者の見積もりを突き合わせて、ギャップを会話にする

自分の見積もりは楽観的すぎ、担当者の見積もりは安全サイドに倒れすぎることがある。両方を出して「なぜ差があるのか」を話すことで、見えていない前提が浮かび上がる。

もう少し深く知りたい人へ

計画の錯誤は、カーネマンとトベルスキーが1979年に初めて言及し、その後カーネマンとロヴァッロが1993年の論文で体系的に論じた現象だ。彼らは、人が計画を立てるとき「内部視点 (Inside View)」に陥りやすいと指摘している。内部視点とは、目の前のプロジェクトの固有の事情だけを見て見積もることだ。「今回はメンバーが成長している」「今回は要件が明確だ」——こうした個別の理由で「今回はうまくいく」と考える。

これに対して、「外部視点 (Outside View)」は、類似の案件が過去にどうだったかを参照する。これは「参照クラス予測」と呼ばれる。カーネマンは、自分自身も教科書の執筆プロジェクトで計画の錯誤に陥った経験を語っている。当初の見積もりは2年だったが、実際には8年かかった。興味深いのは、同僚に「同じような教科書プロジェクトは過去にどれくらいかかったか」と聞いたところ、7〜10年という答えが返ってきたことだ。外部視点のデータはあったのに、内部視点の楽観に引っ張られてしまった。

本文で触れた「自分と担当者の見積もりを突き合わせる」方法は、この内部視点と外部視点の衝突を意図的に起こす行為と言える。自分の見積もり (内部視点) と、担当者の見積もり (別の内部視点) を比較することで、どちらかが見落としている前提が浮かび上がる。

なぜ経験を積んでも改善しないのか。カーネマンは、計画の錯誤が「今回は特別だ」という認識に支えられていると指摘する。過去に遅れた案件は「あのときは事情があった」と片づけ、今回は条件が違うと考える。毎回「今回は特別」だと思うから、過去の実績を参照しない。この構造がある限り、経験だけでは改善されない。

参考文献

  • ダニエル・カーネマン 『ファスト&スロー』
  • Kahneman, D., & Lovallo, D. (1993). Timid Choices and Bold Forecasts: A Cognitive Perspective on Risk Taking. Management Science, 39(1), 17-31.